
みーたんはむかしある家の飼い犬でした。 しかし、散歩もしてもらえず、小屋の周りはフンだらけ、飲み水を替えてもらうこともなく、緑色の藻が生えていました。 エサは食堂の残飯、煙草の吸い殻や爪楊枝が入っていたこともありました。
すぐ近くにある水道の蛇口をひねろうともしない飼い主は、見兼ねて通う私達を「物好きだこと、よっぽど好きなんだねー」と言いました。 私達は可哀相だから来てるんだよ、と本当のことは言わずに笑ってごまかしていました。 非難して、もう来るなと言われたら、みーたんの面倒をみる人がいなくなるからです。
ある日、その家のお嫁にいった娘さんが庭にいて、自分の小さな子供たちに「バッチイからそっちへ行っちゃダメ」と言っていました。 フンを取ろうともせずに、「この犬、私が小学校の時からいるんだよ、前は家の中で飼ってたの」と言いました。 感受性が錆びている人たちは、自分が動物を不幸にしていることに気がつきません。 私はみーたんが想像以上に年を取ってることを知り、寒くなって雪が降ると、凍死してやしないかと、ドキドキしながら通ったものです。
みーたんのところに通って2年余り、春まだ浅い頃に、そのすぐ近くに住む人から 「迷い犬を保護したが、もう少しで引っ越すので長くは預かれない」と相談があり、行ってみると、繋がれていた紐の擦り切れたみーたんでした。 私のびっくりした顔とみーたんの喜ぶ様子を見て、その方が「知っているんですか?」と聞いてきましたが、私は「知りません、人なつっこい子ですねー」とウソをつきました。 本当のことを言ったら、みーたんはあの環境に戻されるから、このささやかな逃亡は、みーたんが生き直すチャンスだと思ったのです。 その方に数日預かってもらっている間に、私は家の車庫の奥に柵をめぐらせ、みーたんを置く場所を確保しました。 庭には犬が4頭いて、もう繋ぐスペースがなかったので、苦肉の策でした。
車の運転の下手な私はバックで車庫入れする度に、みーたんの柵に突っ込みやしないかと、ヒヤヒヤしました。 みーたんは風の音を恐がって吠えるので、家族に文句を言われ、やはり年なんだなーと感じるほど元気なく見えました。
数ヵ月後我が家の老犬が亡くなり、みーたんは他の犬達と同じ場所で暮らすことになりました。 最初は気難しく誰のことも嫌いでしたが、次第に打ち解け、仲良くなってきました。 仲間ができたら、みーたんはみるみる元気になって若返ったように見えました。 散歩も若い犬たちに遅れることなく歩き、気が強くて、嫌なことをされると自分よりずっと大きなオスのムックに向かって行くこともありました。
みーたんが来て3年目、「カイが行くはずだった場所」を読んで、高校1年生のカズマくんがボランティアを志願してきました。 カズマくんは犬の散歩を終えて犬達を室内のケージに入れ、猫のトイレ掃除をして、餌をやってくれるのですが、「勉強して行く」と称してそのまま居ます。 教科書を広げるものの、テレビに釘づけになるのですが、決まってみーたんをケージから出して隣の座布団に座らせ、撫でくりまわしています。 その時のみーたんの得意顔といったら…他の誰も寄せつけません。 「カズマくんはみーたんがホント可愛いんだねー」とメンバーのひとりが言ったら、 カズマくんは「違うよ、みーたんがオイのこと、孫みたいに可愛がってんだよ」と真顔で答えていました。 この年齢差カップルも二年目。生きていたからこそ、やり直せたね、みーたん。小さなウソが幸せの扉を開けたよ。 時間はかかっても、少しづつでも、家族ともめても、助けることをあきらめてはいけない。 そのためには何としても命をつないでいかなければならないこと、それがアニマルクラブの進む道です。

みーたんを看取って、獣医さんを
目指す志を固めたカズマくん
『みーたん、大往生』
ここ2年ほどは、皮膚に腫瘍が繰り返しできたり、心臓の弁が緩くなったことによるしつこい咳に苦しんだみーたん。 散歩も単独で短い距離にして、時にはボランティアさんに抱かれて帰って来ることもありました。
それでも、不妊センターに通って来てくださる獣医さんにまめに診ていただき、痙攣を起こした時も、運良くセンターの開院日で、すぐに処置してもらえました。 何といっても、食欲が全く衰えず、小柄ながら見上げた気の強さが、命をギリギリのところまでつないだのだと思います。
我が家に来てから7年余り、みーたんは、おそらくその倍の不遇な暮らしを生き抜いて、私と出逢いました。 今の家に来てからは、ボランティアさん達に可愛がられ、気丈にも若い犬達に遅れることなく散歩にもついてきました。 老いてあちこち障害を持ってからも、我が家へ来る誰もが、真っ先に声かけてくれて、よく世話をしていただき、幸せな晩年だったと思います。
亡くなる前日も夕飯までしっかり完食しました。 当日朝も、私の食べていたバタートーストを食べたがるのであげましたが、その後から痙攣がおき、幸いまた不妊センターの開院日で、すぐに注射してもらい、少し楽になりました。
そして、最期の時にはカズマくんも駆けつけました。カズマくんは高校卒業後、仙台市の大学に進学したのですが、1年で退学してダラダラしていました。 みーたんばあちゃんに代わって一喝!東松島市の動物病院で看護助手のアルバイトをさせてもらいました。 そこでの半年間が、カズマくんに『本当に進むべき道』を教えてくれたようです。
奇しくも、みーたんの臨終の3月31日に、カズマくんはアルバイトを終え、4月から仙台市の予備校に入学して、獣医学部を目指します。 ばあちゃんを看取って誓った道は、かなり厳しい、長い道のりですが、見習うべきは、みーたんの『負けない、諦めない心意気』です。 勉強に行き詰まったら、動物達に会いに来て、みーたんにお線香上げて、また頑張って、いつの日か、動物の気持ちがわかる獣医さんになってください。
みーたんは、私が仕事から戻るのを待っていたように、息を引き取りました。 眠るような静かな最期で、ボランティアさんの1人が「こんな安らかな死に顔は見たことがない」と言いました。 あっぱれ、みーたん。あなたは私達に、いつからでも生き直せることを教えてくれました。 孫のカズマくんが大願成就するように、天国から時々ハッパかけてくださいね。

いつも散歩してくれたボランティアの五井さんが描いたみーたん